トレードを教えるとトレードを学ぶとのギャップ

沿って | 2011年7月26日

トレードを教えていて喜ばしいのは、成長してくれること。

 

そもそも何故教えるかと言うと…

 

僕も最初は教えたくなかった。

自分一人でこっそりと稼ぐのがトレードだと思っていた。

 

しかし… 暇…暇…暇…トレードは待ち時間との戦いと言っても過言ではない。

社会的なつながりなんか一切ないし…

 

トレードで稼ぎながら生活していると人とのつながりが無くても成り立ってしまう。

僕みたいに海外生活をすると、なおさら人と会わない。

(本心では会いたいが生活そのものが人と会わなくて成り立ってしまう)

コレ、正直さみしい。

 

そして、圧倒的な心境変化が起こったのは震災の時だ。

地震当日は4才の息子二人でと日本へ旅行。

関東、東北にいる友人知人の安否が気になって仕方がなかった。

しかし、4才の子を連れて被災地に向かう勇気もなく、子供の前で不安な顔もしたくなかった。

友人知人の安否を気遣いながらも、大きく動いたチャートを見て複雑な気持ちでエントリーもした。儲かっても嬉しくはなかった。

悔いる部分もあり、できる時に人に優しくするべきだと考えるようになった。

 

そもそも為替市場は強大で、日本であれほどの事があってもマーケットは止まらない。

僕ごときの小さなノウハウを人に教えて影響する世界でもない。

 

僕に出来ることは何か?

最近のテーマは常にそれだ。

 

トレードコーチくらいしか出来ることがない。何も特技がない。

 

40を過ぎてやっとそのことを考えるようになった。

 

教える事で自分が許されるとも思えないが、誰かの幸せに貢献できれば、それは価値あるものだと思う。

 

ただ、教える事の難しさは並みではない。

特に投資手法やその考え方は紙一重の所があり、10人に教えても10人ができるようになるものではない。

 

教える側と学ぶ側の埋めがたいギャップがある事も痛烈に感じる。

 

癒されるのは、嬉しい報告だ。

落ち込むのは脱落者が出ること。

 

楽しい連絡が取り合える事は無常の喜びだ。

 

僕に出来ることは何か?

これは深い。

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